2013年2月18日月曜日

1ー白い雲のように






オフィスにしている南向きのこの部屋には、朝からトスカーナの柔らかい日差しが入ってくる。
トスカーナに住み始めてもう11年、この日差しに魅せられて長年住み馴染んだスイスを去った
その日差しを身体に浴びながら、長い間手にしなかったアルバムを、ふと開いてみた。
最近では写真を殆どパソコンに保存しているので、アルバム自体見ることはないが、それでも手元には4冊ほどのアルバムがある。全て、フランス生まれの伴侶ジョン・クロードと一緒になってからの写真ばかりである
一番大きなアルバムを開いてみた。
最初のページに、二人が初めて会ったときの写真が張ってある。もう30年前になる。
二人ともとても若く、幼い顔をして無邪気に笑っている。ジョン・クロードも髭もまだ真っ黒。
この30年の間に、二人で本当に楽しくやってきた。そして様々な経験をし、それは現在も続いている。
出会ったときから自分自身を信じて」と私に言い続けてくれた彼に、愛と感謝の気持ちを忘れた事はない。
見上げた窓の外に、大空をスクリーンにした白い雲が漂っている。アルバムには載せきれなかった人生の数々が、ふんわりと浮かんでは消えて行く。

私がジョン・クロードと出会うまで1973年から1983年の10年間、私は既にヨーロッパに住んでいた。
その10年間は、自分のエネルギーに背中を押されるままに初めて日本を出た私が、先ずはアメリカに渡り、その後、ヨーロッパのいろんな国に住みながら、それぞれの国の伝統や習慣に触れて行った、楽しく、そして少し辛くもあった時期である

私が始めて日本を出たのは、日本でスイス人の画家に出会ったのがきっかけだった
高校を卒業して勤めた銀行の仕事が好きになれずにいたところ、神戸の歯科医療器具店が秘書を探している、と知り合いの女性がわが家に話を持ってきてくれた。
話はとんとん拍子に進んで、私は神戸に行くことが決まった。3年間勤めた銀行を辞めるときの、嬉しかったこと。
神戸には、幼稚園に行く前からいつも一緒に遊んだ幼なじみが住んでいた。いつかは一緒に住んでみたいね、と二人でいつも夢見ていた、私の神戸行にこの夢実現した
神戸に引っ越す日、身長が私の肩までしかない小柄な母が、ベッドを積んだトラックに乗って一緒に引っ越しを手伝うと言いだした。母からは叱られた覚えのない私は、母と大変に仲が良かった。
「帰りはトラックに一人になるけど、いいの」と何度も確かめたが、「平気よ〜!」と母は明るく答えた。
大阪から神戸までの数時間、トラックの運転手の横に並んで座り、観光旅行に出かけるような気分で、二人楽しく話をしながら揺られていった、今も覚えている。太陽がサンサンと素晴らしいお天気の日だった。
母は、娘がどんなところに住むのか見ておきかったのだろう。そして、手元から離れていく一人娘と少しでも長く一緒にいたかったのだろう、と今になって判る。若いはそんなことをちっとも考えなかった。
そして、この神戸行きを境に、私の人生大きく回転した。
私が23歳の時

神戸に住み始めて1年程経った、ある人の紹介でスイス人の画家ペーターに出会った。身長が1m80cmある人で、私より5歳年上。細身で、背中の真ん中程まである長い金髪をポニーテールにして、優雅に動く男性だった。
2〜3度一緒に食事をして、私は彼に恋をしてしまった。というか、彼の金髪に、彼の優しさに、彼のエレガントな動きに、日本の日常生活では見られない姿に、恋をしてしまったのである。
丁度ペーターは新しい絵画技法を見つけた時であり、自分の絵を世界中に広げたい、と大きなを持っていた。れを先ず日本から広げたいとある人を頼って日本へ来たらしいのだが、この世界簡単に有名になれるわけがない。
知り合いにガレージを貸してもらい、そこで絵を描いているらしかったのだが、絵が売れないのでお金がない、お金がないので食べられない、と言う状態がずっと続いていたようだ。あまりの空腹に、木のテーブルを削って、それをチューインガムのように噛んだこともあったと聞いた。苦労する人は、いろんな経験をする

んな訳で、二人のデート代はいつも私が支払ったが、私はそんなことは全く気にならなかった。大好きだったフランス映画の中に自分がいるようで、毎日が楽しかった。
ペーターは、お金はないけれど、お腹は空いているけれど、そんな素振りは微塵も見せず、いつも優雅に話をし、歩く人だった。ひょっとしたら、どこかの貴公子かな、なんて思ったこともある。
そんな、夢心地の日が2・3ヶ月続いたのだろうか、ある日、彼は全く予期していなかった事を私に言った
「実は、アメリカで個展を開く予定があって、数週間後にはアメリカへ行くことになっているんだ。航空券も既に持っている」
「…............!」
私の目の前に、映画の「The End」の文字が浮かんだ。
ああ、とうとう、この夢物語も終わりになるのか・・。
ショックで何も言えないでいると「一緒に、アメリカに来ないか?」と彼は更に驚くことを言いだした
「ええ〜っ?、そんなこと、出来るわけがないと言った瞬間、私の心の奥深くに眠り続けていた何かが沸々と沸騰し始めた。
そしてその何かに押されるように、私は「行く! アメリカに、行きます!」と言ってしまっていた。
その日1日、私は自分の発した言葉にボーッとしていた。

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