2013年4月4日木曜日

7−戦争のない国スイス



格安でスイスへ向かおうと思った私は、ロシア航空会社のアエロフロートを利用した。
その日は雨だった。雨脚が次第に強くなり、飛行機は伊丹空港で足止めになった。
外国へ行くな!とでも言っているのかな、と私はふと思った。
古い飛行機の座席に座りながら私が手持ち無沙汰でいると、横にも縦にも体格のいいロシアのおばさん風スチュワーデスが飴を配って来た。
笑顔も何もない、無愛想な女性だった。配られた飴を食べようと紙を剥がしにかかると、古い飴だったのか、紙が飴にくっついて剥がせなかった。
なんとかして紙を剥がし、飴を口の中でころころしながら舐めていると、窓際から風がスーッと入ってくるのに気がついた。これで標高何千メートルも飛んだら危ないのじゃないだろうかと心配になり、私は先ほどのおばさんスチュワーデスを呼んだ
ところがおばさんスチュワーデスは窓際をチラッと見ると、「ああ、大丈夫、大丈夫」と言って、さっさと行ってしまった。
しばらくすると、今度は別の乗客が窓から雨が漏ってきている騒ぎ出した。
私も行って見てみたが、かなりの雨が入り込んでい
先ほどのおばさんスチュワーデスが騒ぎを聞いたらしく、手に紙を持ってやってきた。そして、窓から漏れている雨水をチョイ、チョイと持って来た紙で拭くと、「ノー・プロブレム!」と無表情だが強い口調で言い行ってしまった。
安いだけあって、やっぱり飛行機、古いわーー!」
結局、2時間遅れで出発したアエロフロートは、しかし空気漏れや雨漏りにびくともせず、無事に我々をモスクワに運んでくれた。
だが、そこで問題が生じた。大阪からの便が遅れたばかりに、モスクワからスイスへ行く乗り換え便が既に出てしまっていたのである。
さぁ、どうしよう。次はいつの便があるのだろう
スイス空港ではペーターが私を待っている。彼に私が遅れて到着する事を伝えたい。
私の英語はまだ達者ではなかったが、そんなことを言っている場合ではなかった。
私はインフォメーション・オフィスを探しに空港内をり出した
幸いに直ぐに見つかり、カウンターにいる女性に尋ねた。
「こういう事情で私の乗る飛行機は出てしまいました。次の便はいつ出るのですか?」
「ここでは分かりません。2階のインフォメーション・オフィスで訊いてください」
カウンターの女性にそう言われた私は一気に階段を駆け上り、2階のインフォメーション・オフィスへ向かった。そして、先ほどと同じ事を尋ねた。すると、
「ここでは分かりません。1階のインフォメーション・オフィスへ行ってください」
と言う。
「えっ!今、1階で、2階へ行けと言われたので来たのですが」
「いいえ、ここではありません。1階へ行ってください」
女性は無表情で、有無を言わせない。
私は上ってきた階段を駆け足で下りて行き、先ほどのインフォメーション・オフィスへ急いだ。
少し息切れのする声で言った。
「今、2階へ行ったのですが、2階の人は、1階で訊けと言うのですが」
「いえ、いえ、先ほど言ったように2階です」
「でも、2階の人は、下で訊けと・・・」
インフォメーション・オフィスの女性は、ただ頭を横にふり続けるだけだった。
私は言われた通りに、再度、2階へ行くしか手段がなかった。今度は、トボトボと2階へ上って行った。先ほど行ったインフォメーション・オフィスへ向かって行きながら、何処でちゃんとした答えがもらえるのだろう、と不安になった。
2階のインフォメーション・オフィスでも、やはり先ほどと同じ答えが帰って来た。
この空港はどうなっているんだ。私は、どうしたらいいんだろう・・・?
もう、私には1階へ降りて行く元気もなかった。ただ、スイス空港で待っているはずのペーターにだけは、どうにかして連絡をつけたかった。
1階も駄目、2階も駄目、今度は何処へ行ってみようかと思案をしている時であった。
救いの天使が私の前に現れた。
大阪からの同じ便に、若い女性達の日本人音楽会グループが乗っていたらしく、そのグループの唯一男性であるリーダーが、私に話しかけてきてくれた。
「僕たちも大阪からスイスへ行く乗り継ぎ便に乗り遅れたのです。どうも、次の便は明日出るらしいですよ。それで、今晩は提供されたホテルに宿泊するらしいです。ご一緒にいらっしゃったらいいと思いますよ」
そうして、この男性はテキパキとインフォメーション・オフィスの女性に話しをし、私の宿泊を手配してくれた。
ほぉぉぉ、助かったぁぁぁ!」
こんな遠いロシアの国一人、どうなる事かと思ったが、どうにかなった。
宿泊先のホテルまで、私たちはバスに乗せられた。
バスに乗ったら絶対に写真を撮らない事、外もあまり見ない事、などと運転手に言われて、これがロシアと緊張した。
走っている最中、窓にかかるカーテンの隙間から少しだけ外が見えた外の風景は殺風景で、時折、道の端に止めた荷台に数本の人参と数個のジャガイモを乗せて売っている女性が見えた。風景も人びとも、とても貧しく見えた。
やっと古びたホテルに到着し私達は、4人ずつに別れて部屋に入った
もう夕方も遅かった。直ぐに夕食にしようと皆でホテルのレストランに向かったが、「遅いので何もない」とキッチンの人たちに愛想もなく言われた。
何でもいいので」とお願いすると、焦げ茶色のスープに何かがごろんと入っ正体不明なものが提供された。私は食欲を失くし、ほとんど手を付けなかった。
部屋へ戻りシャワーでも浴びようと思ったら、浴室のお湯が出なかった。なにもかも「貧しいロシア」であった。
唯一ホテル部屋の窓一杯に見えた、真っ赤に燃える夕日の美しさには感激した。
翌朝、私たちはホテル前から出るバスに乗り込んで空港へ向かった。
そして一日遅れの乗り継ぎ便に乗り、私も音楽会の人たちも無事にスイスへ到着した。
遅れて到着する事をペーターに連絡出来ずにいた私だが、彼はちゃんと到着出口で待っていてくれた。
前日、到着時間になっても私が現れない、ペーターが空港のカウンターで問い合わせをした所、「雨の事情で乗れなかったお客様が出ましたが、次の日のこの時間に到着します」と情報を得たらしい。スイスは、こういうところが几帳面なので助かる。

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