2014年1月3日金曜日

46−フランス、スイスへ行こう

「では離婚調停を行います」
裁判官の一人がドイツ語で宣言した。調停は、全てドイツ語だった
離婚の理由は何ですか、どうしてそうなったのですか、そのときあなたは何処にいましたか等、事件の裁判でも受けているようだな、と思うほどいろんな質問をされた
私は、大して上手でもなかったドイツ語で裁判官達の言う事を理解し、それに答えていった。どうしても分からない時は、ペーターに助けを求めた。
ペーターは私の敵ではないのだから助けを求めてもいいだろうと思ったし、裁判官は、それに対して何も言わなかった。
どのくらいの時間が経ったのだろうか、裁判官が木槌でトン、トン、トンとテーブルを3回打ち鳴らし、長く感じられた離婚調停が終わった。
離婚調停というよりも、ドイツ語の試験を受けたようで私は汗をかいてしまったが、これで離婚は成立した
ただし、私はこのままスイスパスポートの保持を希望したので、パスポート上の私の名字はペーターの名字から変わらなかった。
裁判所を出る前に、私たちは簡単な離婚調停5万円の請求書を受け取った。
結婚は金がなくても出来るが、離婚は金がないと出来ないのだ。
離婚証明書は数日後に届くと言われた。

裁判所を出ると私とペーターは再び手をつないで歩き出した。
「どうもありがとう」
私はペーターにお礼を言った。
「どういたしまして」
彼は丁寧に答えてくれた。
彼には本当に感謝しなければいけない。
彼と一緒に過ごした10年間を振り返ると 中絶という心身的に辛かった記憶が先ず蘇るが、それでも楽しかった日々は沢山あるし、条件なしに優しくしてくれた彼も思い出す。
少々気持ちにムラがある人なので、彼が落ち込んだ時は側に寄れないほど厳しかったが、平和で充実した時間も沢山あった
そして何よりも、彼に会わなかったら、私はこうしてヨーロッパにいることは出来なかったし、ジョン・クロードに会うこともなかったの
ペーターとの10年間は、ジョン・クロードに会うまでの寄り道だったようにも思えるが、その10年間に私が経験したことは、何事にも変えられない貴重なものであった
日本から私を引っ張り出してくれた彼に、心から感謝したい

私がスイスからフランスへ戻って来て直ぐ、ジョン・クロードが体を壊した
疲れていた身体に、マネージャーや同僚達とのストレスが重なったらしい
彼は口内炎が出来、高い熱を出して寝込んだ。
2日目になっても起き上がることができ私はそれをマネージャーに伝える為町まで歩いていくことになった
私は未だフランス語を話すこと出来なかったが、家に電話がないため、ジョン・クロードは自分で伝えることが出来ない。が直接駅に行き、身振り手振りでマネージャーに伝えるしか方法がなかった。
マネージャー伝えるべきフランス語をジョン・クロードに教えてもらい、私は家を出た。
30分ほど歩いて駅のレストランに着くと、マネージャーとウエイターが2人、カウンター内で気だるそうに談笑していた。
私は彼等の前に行き、ジョン・クロードに教えてもらったフランス語を話しだした。
「ジョン・クロードが病気、口内炎が出来て、熱も高い」
ところが、マネージャーは
「へっ、やつが病気だってさ。歩けないんだってさ(というようなことを言っている事が私には分かった)」
と隣に立っているウエイターに言い、そして周りにいる同僚達とウワッハハハハと笑い始めた。
私はムッとした。下品な笑い顔のマネージャーを睨み返すと、
「彼はヒューマンビーイングだから、病気にもなるんです!」
と、一応フランス語で強く言い、クルッと後ろを向いて、そのまま駅を後にした。
あんな嫌な人間と一緒だと誰でも病気になるわ、と憤慨しながら私は道の上にあった石を蹴っ飛ばした。

1週間が経ち、ジョン・クロードの具合は良くなったが、彼はレストランの仕事場にはらなかった
それから毎日、彼は新聞を見たり、直接町へ出かけていったりして職を探したが、見つけるのは本当に難しかった。
ようやく、あるホテルのパートタイマーとしてレセプションで働く仕事を見つけてきた。
そしてその直後、私はペーターから手紙を受け取った
ペーターと一緒に住んでいた友達カップルが長期旅行へ行く為、今働いているベジタリアンレストランを辞めると言う。
彼女の方はキッチンでメインシェフとして働いていたが、彼女が辞めたら、その仕事を私に継いでもらえないだろうか、という内容だった。
うん、私にできる仕事があるのなら、何処へでも行こうジョン・クロードも、スイスで仕事を探せばいいのである。
私はペーターに電話をして 、「仕事は直ぐに引き継ぎます」と伝えた
数週間後、私はスイス行きの列車に乗る為、スーツケースを持ってペルピニオンの駅に立っていた。
ジョン・クロードは、私たちが借りていたアパートの解約揃えた生活用品処分する為に、一人で後に残ることになった。片付けが終わり次第、スイスに行くからと彼は約束した。
2ヶ月ほど前に離婚調停でスイスへ行ったばかりの私である。又しばらくジョン・クロードと別れて暮らすのは辛かった。
今度はいつ会えるのだろう・・・」
一人旅には慣れているはずなのに、私の胸は張り裂けそうだった。
「必ずスイスに向かうから」
「待っているね」
電車がスーッとホームに入ってきた。
私たちはキスを交わし、固く抱き合った。
「ジュテーム(愛してるよ)」
「ジュテーム・オシ(私も愛してるわ)」
何度言っても、言い足らな
遂に、私はスーツケースを持ち上げ、スッと電車の中に入っていった。
座席に座り、窓の外のジョン・クロードを見上げると、彼は涙を流して泣いていた。
泣くまいと我慢していたのに、の目から涙が溢れ出た。
私たちは窓ガラスの外側と内側から手を重ねて、「又ね!」「また直ぐに!」と言い合ったが、彼の声は聞こえなかった。
ガタンっと何のアナウンスもなく電車は動き出し、すぐにジョン・クロードが見えなくなった。

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