2014年10月11日土曜日

86−イタリアのトスカーナ、2

丘の上に立つコッレ・ディ・ヴァルデルザは、中世に作られた石造りの街だった
古い街は丘の上にあり、クリスタルグラスが有名なので、工房や店が狭い道を挟んでいくつもあ
新しい街はその麓に広がっていた。電車こそ通っていないが、バス停がいくつもあり、開けた街である
大きくもなく、小さくもない、トスカーナ郊外の雰囲気に浸りながら仕事ができそうなこの街が、4人ともすぐに気に入った。
街を一通り見て回った後、私たちはアグリツーリズモに戻った。
2日後、パトリックとアンドレアスが、もう一度コッレ・ディ・ヴァルデルザの街を観察に行くと言い出した。もう少し他の街も調べてみたかったジョン・クロードと私は、アグリツーリズモに残ることにした。
その日は6月の暑い日であった。
イタリアへ到着して以来、私とジョン・クロードはまだ一度も海を見ていなかった
話し合いは海でも出来るからと、私たちは地図を持って初めて近くの海へ出かけて行った。
透き通った美しい海と長く続く浜辺に感動しながら、私たちは熱いの上にタオルを敷いて寝転がった。浜辺には数えるほどしか人がいな
「トスカーナはいい所だね。ここに住めるようになったらいいね・・」
青い空と海を見ながら、私とジョン・クロードはそんなことを話した。スイスを出発して以来、初めてくつろいだ時間だった。
太陽を浴び、少し日焼けしてリラックスした私たちは、まもなくアグリツーリズモに帰って行った。
戻ってみると、パトリックとアンドレアス既に宿に帰って来ていた。
私とジョン・クロードが二人に近づき、海が素晴らしかったことを伝えると、パトリックが急に怒りだした。
「僕とアンドレアスは暑い中、街を歩き回ったというのに、君たちは海に行っていたなんて、許せない」
そんなことを言った。
いつもは穏やかなジョン・クロードが、口を開いた。
「ヘイ、パトリック!注意して聞いてほしい。僕と君たちは、まだ会社も作っていないし、同僚でもない。いや、同僚になったとしても、君には僕たちの行動をコントロールする権利は一切ない」
とキッパリと言った。
パトリックは機嫌を損ねたらしく最初は何も言わなかったが、その内ジョン・クロードの言うことを理解したのか機嫌をなおし、いつものように4人でミーティングを始めた。
パトリックとアンドレアス、コッレ・ディ・ヴァルデルザでオフィスに適した物件を見つけてきたと報告した不動産業者ともすでにコンタクトをとったらしい。
何とも早急な行動をとってきたなと私とジョン・クロードは思ったが、翌日、4人でその物件を見に行った

オフィスにいいのではないか、という建物は既に空き家で、ガラス窓から部屋の中に光が充満していた。
場所的にも良く、私とジョン・クロードも気に入った。
「ここだったら働きやすいオフィスになりそうだね」
と私が言うと、
「実は、皆で住めるアパートも見つけたんだけど・・」
とパトリックが言いだした
私とジョン・クロードは驚いた。住む場所も彼らと一緒だとは考えてもいなかった。だが、何も知らない土地で生活スタートするには便利でいいかもしれないと考え直し、パトリックの言うアパートを一緒に見に行った。
アパートといっても、昔の屋敷をいくつかに区切って造られたもので、建物は古かった。
不動産業者の案内で中を見てみると、部屋はあったが、小さなバスルームが一つだけ、というのがいけなかった。その上、それぞれの部屋が小さく、プライバシーがほとんどないのだ。
「これは無理だ」
私とジョン・クロードはパトリックに伝えた。
「でも、パトリック、君が気に入ったのなら借りたらいい。僕たちは別の所を探すから」とも言った
パトリックの頭には、4人が一緒に生活をしながら仕事をするというアイデアがあったらしい。その方が一人の負担する家賃が安くなる。
だが、私たちは仕事を離れてまで一緒に過ごすことは考えられなかった。
困った事に、パトリックとアンドレアスは会社設立を急いでいた。
とくに、アンドレアスはお金に困っており、直ぐにでも仕事を始めなければいけない状態のようだ。
そして、不動産業者には物件の契約を迫られていた。
自分たちの生まれた国でもない場所で、知人も殆どいない状況の中、物事を早く解決しようと思う事自体が間違っている。
特に時間や期限の感覚が他のヨーロッパとは違ってスローな違うイタリアでは、何に関しても時間が必要なのだ。
もっとゆっくり時間をかけて探すべきだと私とジョン・クロードは言った。
もし、パトリックとアンドレアスが急いであのオフィスと住居を確保したいのであれば、契約はパトリックに結んでもらおう、と言った。
一人で契約の責任を背負う事になったパトリックは、急に黙り込んだ。
一晩考えよう。4人は少し疲れた身体で、アグリツーリズモに帰っていった。

その夜、私とジョン・クロードはベッドの脇で話し合った。
まず、パトリックが私たちの行動をコントロールしようとしたことは驚きだった。一緒に仕事をすることになったとしても、彼にはそんな権限はないことを分かってもらわなければいけない。
それから、パトリックとアンドレアスが何事も急ぎすぎるのは困ったものだ。
私たちは慎重にしたい、彼らは早急に見つけたい。お互いの波長や考え方が合わないことは明白だ。そんな彼らとこの先、話し合いを続けることは無意味だろう。
私とジョン・クロードは、ウエブデザイン会社設立件から抜けることにした
会社設立の為に1年間の旅行を2ヶ月間に短縮し、こうしてイタリアのトスカーナまでやって来た私たち。この話が無くなった後、どうするのか、どこへ行くのか先の事は全く見えなかった。だからといって、納得がかないことに自分たちの人生をかけるわけにはいかない
明日の朝、パトリックとアンドレアスにこのことを伝えることにして、私たちはベッドに入った。

翌朝、朝食を食べる場所に行くと、パトリックがいなかった。
様子を見に行ったジョン・クロードが「パトリックが泣いている」と私に伝えに来たのは、朝食が終わった直ぐ後だった。
どうやら、彼はオフィスと住居の契約責任に重圧を感じたらしい。
4人はパトリックの部屋で車座になって話し合った。
目を泣きはらしているパトリックを目の前にして言うのは少々気が引けたが、私とジョン・クロードは、会社設立の件から抜けることを伝えた、
意外にも、パトリックはホッとした様子を見せた。
アンドレアスも、物事がスムーズに進まないことを不安感じていたらしく、直ぐにオーストリアに帰り、仕事を探すと言った。
そして、パトリックとアンドレアスは早々にそれぞれの国に帰っていった。

残った私たちには、帰る場所がない。それでもひとまず滞在していたアグリツーリズモを出る事にした。最悪の場合は、持っているテントに寝ればいいのだ。
車に乗り、トスカーナ郊外の道を当てもなく走りながら、
「さて、何処へ行こうか」
二人はお互いを見合った。一寸先も見えないと、かえって不安はあまり押し寄せて来ないものだ。
郊外の道を走り進んで行くうちに、この辺りで一番高い丘の上にある街ヴォルテッラにたどり着いた。
「ブーヴェの恋人」という映画に使われた街だと後で知ったが、石造りの重厚な街は、歴史がエトルリア時代にまでさかのぼる古い街だった
その時、ジョン・クロードが急に思い出した。
「そうだ、同じトスカーナに、チューリッヒで私たちの歯科医だった夫婦がアグリツーリズモを経営しているはずだ」
電話番号は、別の友達からもらっていた。
6月も後半のバケーション時期だ。部屋が空いているかどうか不安だったが、電話をしてみることにした。
「ハロー、僕たち、チューリッヒでそちらの歯科医院に通った者ですが、今晩、部屋は空いていますか」
「ああ、空いていますよ。でも、最低3泊してもらわないといけなんだけど」
「ああ、勿論、それでOKです」
聞くと、彼らのアグリツーリズモは、意外にも、ヴォルテッラの街から30分ほど走った所だった
今晩、寝る場所が見つかった!
二人は躍るような気持ちで車を走らせた。
たどり着いたアグリツーリズモは、大きな農家を改造した家で、2階に彼らのアパートと宿泊客用の部屋が4つ、共同バスルームが2つ、そして、1階に宿泊客が自由に使える大きなキッチンがセットされていた。鍋からフライパン、食器類、オーブン、料理をするのに必要な物は全て揃っている。
驚いた事に、キッチンの横にはサウナまであった。
何もかも清潔で、さすがスイス人の家であ
昔、歯科医だった夫婦も気さくな人たちで、その夜は彼らと食事をし、ワインを飲みながら夜遅くまで話をした。

翌朝、私たちは朝食用のパンを買うためkmほど離れた近くの小さな町に行ってみた。
この町から15kmほど離れた所に地熱発電所があり、100年前に始めてそれを発見したのがフランス人のラルレデッルだったと知る。
そのラルレデッル氏の屋敷がこの町にあった。その屋敷を中心に、少しずつ大きくなったのがこの街らしい。
名前はポマランチェ。「柿とオレンジの町」という意味だそうだ。
街の中に入ってみると、想像以上に人が出ていて活気があった。見ていると、若い人も老いた人も素朴さがにじみ出ており、見るからに親切そうだ。
町の中には、言葉で言い表すことは難しいが、何か心に暖かい、癒しの雰囲気が漂っていた。
「わたし、この町に住みたい!」
思わず私は口に出していた。

アグリツーリズモに戻って朝食を食べた後、私とジョン・クロードは綺麗に手入れされた庭に回り、置いてあるベンチに座った。
「さぁ、これからどうしよう又、スイスに帰って、仕事を探す、それとも、ここで何かやってみる?」
うむむむ〜、スイスでまた仕事探しをして、誰かの会社の為に働くのはもう十分だね
「うん、出来れば、スイスにはもう戻りたくない」
「そうだね、スイスの人生は、もう終わったな。じゃぁ、せっかくトスカーナにたどり着いたのだから、ここで何か自分たちでやってみようか」
「何かって、例えば、何をするの?」
「それはまだ分からないよ。でも、僕たちは、自分たちだけで絶対に何かやれるよ。僕はウエッブサイトのアイデアがすでに頭にあるし・・
うん、そうだね、やれるね。イタリアのトスカーナで、何かやってみようか」 
「よし、決まった。ここで何かやってみよう。今度はトスカーナ人生だ」
二人は大きくハイタッチをした。
何も見えない先を考えると不安はあったが、私たち二人には必ず生き延びる力があると確信していた。
45歳と50歳の私たちだが、元気だけが取り柄だ。二人一緒ならまた再出発出来る。
今までだって貯金ゼロからスタートし、それでも、ちゃんとした職につき、アパートに住み、楽しく生活をして来たではないか。
勿論、これからは、会社勤めをしていた時のように毎月保証された収入が入ってくることはない、その代わりに、自分たちの自由が手に入る。
ワールドツアーでずいぶんお金を使ってしまったが、もうしばらくは大丈夫だろう。
よしっ、未来に賭けてみよう。先ずは住居探しからだ

2000年7月、私とジョン・クロードの新しいトスカーナ人生が始まった。

しかし、それはまた、別の話である。

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