それに、私たちの旅行資金も底をついてきていた。
結局、インドの滞在が1年になった頃、私たちはスイスへ帰る事にした。
この時点で、私たちの銀行口座には2000フラン(約20万円)残っていた。
スイスに帰ると、又一から生活を始めなければいけない。少しはお金がある内に戻った方がいい。
そんな時、ジョン・クロードがまた突拍子もない話を持ってきた。
「仲良くなった旅行会社のインド人オーナーから聞いたんだけど、スイスまでファーストクラスで行ける航空券があるらしいよ」
「ファーストクラス?そんな航空券、高いでしょう!?」
「二人で片道4000フランだって」
「4000フランのお金、私たちにはないでしょう?」
「クレディットカードで少しずつ支払って行く方法があるよ」
ファーストクラスか・・。降って湧いたような話だ。しかし、考えようによってはたったの4000フランで飛行機のファーストクラスが楽しめるなんて、滅多にある話ではない。
今このチャンスを逃すと、多分、私たちはこの先ファーストクラスを楽しめることはないだろう。せっかくの人生経験をこのまま逃してはもったいないのではないか。
スイスに帰ると又仕事を探して働けばいいのだ。
そう思った私は、ファーストクラス飛行にOKを出した。
数週間後、私たちは初めてのファーストクラス航空券を手にしていた。
ムンバイ空港に到着すると、二人は真っすぐファーストクラスのチェックインカウンターに向かった。並んでいる客は誰もいない。
チェックインを始めると直ぐに、ウォーキートーキーを持った女性がやってきた。
「どうぞこちらへ」と彼女は私たちをファーストクラスのラウンジへ案内してくれた。
そこには既にインド人を含めた4・5人の乗客がくつろいでいた。
私たちがソファーに座ると、間もなくお茶とお菓子がサービスされて、さすがファーストクラスだと感激した。
出されたお茶を飲んでいると、「パスポートをお願いします」と先ほどの女性が近寄って来た。
「今、ここでパスポート?」
二人はちょっと慌ててしまったが、どうして必要なのか分からないまま、バッグから自分たちのパスポートを取り出して女性に渡した。
「これで先に出国手続きを済ませておきます。お客様には、ラウンジからこのまま機内へ入っていただきます」
女性にそう言われて、へぇぇぇ、ファーストクラスというのは、こんな便利な事もしてくれるのかぁ、と又二人で感動してしまった。
搭乗時間になり、ファーストクラスの搭乗客は先ほどの女性に誘導されて飛行機に向かった。誰もいない通路を通って機内に入るのだ。
飛行機はスイス航空だった。座席に座ると、回りのスペースがやけに広い。足を上に伸ばしてみると前の座席につま先も届かなかった。
離陸したのがいつだったのか分からない内に、ベルトサインが消え、私たちは機上の人となっていた。
スチュワーデスがやってきて「Mr & Mrs デュモン、お飲物は何になさいますか?」と訊いてきた。
「Mr & Mrs デュモン、お食事は何になさいますか?」
「Mr & Mrs デュモン、映画はご覧になりますか?」
ファーストクラスでは、乗客の一人ずつが、名前で呼ばれるのだ!
一番前に座っていた初老のインド人夫妻は、離陸してベルトサインが消えた途端、座席を倒してベッドのように平らにし(本当に真っ平らになるのである)奥様を先に寝かしてブランケットをかけてあげ、その後、ご主人が横になると、スイス到着まで食事も飲み物も一切摂らないまま、ずっと眠り続けておられた。
私たちの横にいた男性一人は、食事の希望メニューを訊かれた際、「チーズ少しとクルミとぶどうを持ってきて」と言い、飛行中、ワインを飲みながらそれだけを食べていた。
「フム・・・、ファーストクラスを利用し慣れた人たちだな」
私たちは眠るどころか、興奮して目がぱっちりと開き、ファーストクラスで楽しめるものは全て楽しんでみよう、と気合いが入っていた。
私たちはベジタリアンなので肉は食べないけれど、後は何でも食べますから、とスチュワーデスに伝えると、前菜から一つずつ、陶器のお皿に乗って食事が運ばれてきた。
飲み物にはシャンペンを頼んだが、ファーストクラスでは無料なのだ。
おいしい食事だった。
映画の選択も沢山あった。日本の時代劇映画もあったので、私は是非見たいと思ったのだが、それは日本往復の飛行機でしか観られないと言われて至極残念に思ったことを覚えている。
私たちは機内で観られる映画は全て観たのではないだろうか。
疲れると立ち上がって歩き、スチュワーデスと世間話をし、広いトイレでゆっくりと手を洗い、顔を洗い(外で待っている客がいないので気が楽だ)、初めてで最後かもしれないファーストクラスを堪能した。
「間もなくチューリッヒ空港に到着いたします」と言う機内アナウンスを聞いて、「もっと乗っていたい」と思ったのは、この時が初めてだ。
少し無理をしてでも、ファーストクラスにして本当に良かった。
たったの4000フランで、ひょっとしたら最初で最後になるかもしれない経験をすることが出来た。
これも、いつも目の前に現れたチャンスを逃さないジョン・クロードのお陰である。
「お金はカレンシーと言い、回り巡ってくるものだ。溜めると腐るが、使えば回り回って又戻ってくるのだ」
これはジョン・クロードの理論である。私たち二人はその考えで今までの人生を楽しんできた。そしてこれからも、私たちは同じ理論に基づいたライフスタイルで人生を楽しんで行く。
これはジョン・クロードの理論である。私たち二人はその考えで今までの人生を楽しんできた。そしてこれからも、私たちは同じ理論に基づいたライフスタイルで人生を楽しんで行く。