2014年10月4日土曜日

85−イタリアのトスカーナ


ワールドツアーを終えた6月初旬、私たちはニューヨークからスイスのチューリッヒへ向けて最後のビジネスクラス飛行を行った。インド滞在とワールドツアーを含めて1年2ヶ月ぶりの帰国である。
大きな旅行をやり遂げホッとしたところだったが、私たちには、まだこれからイタリアへ向けて出発する計画が残っていた。
チューリッヒ空港に到着した私たちは空港内のホテル・モーヴェンピックに部屋を取った。帰る家がないというのは、なんだか足が宙に浮いたようで落ち着かない。
スーツケースホテルにくと直ぐに空港内から列車に乗り、旅行前に車や荷物を保管した貸しガレージに向かった
チューリッヒ湖前にある貸しガレージのオートマティックドア開くと、その奥に私たちの日産プリメーラが静かに横たわっていた。
1年以上も前に外したバッテリーを繋げてやると、「ブルーーーン」と一息ついて、車はぐに生き返った。ロボットのようだな、とちょっと感動した。
それから、別の部屋に保管していた荷物の状態を調べてみた。
ガレージの分厚い壁の中に保管されていた家具や所有物は、埃をかぶることもなく湿気によって損傷を受けることもなく全て完璧に残っていた。
その中で、イタリアで使うことになるだろうテント一式を取り出して車に積んだ。
トスカーナにどれくらいの期間滞在することになるのか分からない。その期間中、ずっとホテル住まいをするわけにはいかない。
ホテル2・3日ゆっくりした後、私たちはイタリアのトスカーナ州にあるフィレンツへ向けて日産プリメーラを走らせた。

スイスのチューリッヒからトスカーナまで約800kmある
1年ぶりに車のハンドルを握ジョン・クロードはドライブを楽しんでいた。
飛行機の旅は遠い所へ行ける利点があるが、やはり車の旅は自由が利いていい。好きな時に、好きな所で停まることできる。
中でも車でスイスを縦断する時に目の前に見えるアルプスや湖の風景の美しさは、上空を飛んでいる時に見える風景とは違った感動がある。
イタリア国に入ると、途端に家々が貧しい様相を表してくる。道路の具合も悪い。街中はもちろん、森の中まで綺麗に整頓するスイスからやってくるからか、その違いは歴然だ。
だが、南下していくにつれ、家も風景も整然としてくるのは面白い。
そして、そのまま走り続けてトスカーナ州に近づくと、間もなく、なだらかな丘陵と糸杉の風景が現れ、その間にレンガ色の屋根をつけた家々が見えてきて、ポストカードのような風景に長旅の疲れが癒されていった。

あの頃は、まだ車のナビゲーターがなく、私たちは地図を見ながらトスカーナの首都、フィレンツェへ入って行った。
予め目標としていたキャンピング場は、フィレンツェの直ぐ近くにある丘の上の小さな街フィエゾレにあった。
どうした訳か、私たちはフィエゾレに向かうのに、雑踏のフィレンツェの街中を突っ切っていった
フィエゾレは、20年ほど前、イギリスで撮影された「眺めのいい部屋」という映画に使われた街その名の通り、街のはずれからフィレンツェの街が一望できた。
街の全ての屋根がレンガ色で統一され、他のヨーロッパでは観た事がな中世の雰囲気を醸し出していた。
夜になると、オレンジ色の電球に古都が浮き上がり、更に魅力的になった。
2ヶ月間、ビジネスクラスで飛び回り、高級ホテルに宿泊して来た私たちは、今度はキャンプ場でテント暮らしになったが、そのギャップも、また楽しかった。
テントの中で横になりながら、これから始まる未知の世界の事で二人はワクワクしていた。
さぁ、又、新しい人生に突入だ。ジョン・クロードと一緒なら、何も怖くない

フィエゾレの3日目、私たちは愛車日産プリメーラに乗り、フィレンツェの街を目指して、糸杉の間を縫細い道を下って行った。
地図を見ると、一緒にウエブデザイン会社を作ろうと約束したパトリックとアンドレアスとのミーティング場所は、フィレンツェの中心地からアルノ川方面に歩き、更に川を渡った所にあるようだ
私たちは車をアルノ川の横にある駐車場に停め、そこから川沿いに歩いて行った。
その日は6月15日で、フィレンツェは汗ばむほど暑かった。
盆地のフィレンツェは、夏は非常に暑く、冬は非常に寒くなると後で知った
夏休み時期で旅行者が多く、私とジョン・クロードは車道と土産物屋の間に溢れた人びとをかき分けながら進んで行った。
「彼らは本当に来るかな・・・」
「来ると思うけど・・・」
来ていると思いたかったが、もしも来ていない時のショックを和らげるかのように、二人はそんな事を口にしながら歩いた。
車に気をつけながら土産物屋の前を進んでいると、急にだだっ広い広場が目の前に現れた。ピッティ宮殿であ
この広場の前にある建物の中で、彼らは待っているはずだ。
ピッティ宮殿の前には昔の屋敷らしい建物が建ち並んでいるが、外壁が一つになっているので、何処から何処までが、どの家なのか、さっぱり分からない。
ドアの番号を知らないと、一つ、一つ、ドアをたたいて行く事になる。
幸い、私たちは目的の入り口をすぐに見つけ。暑い為、ドアは開きっぱなしになってい広い玄関に入ると、そこから階段が上に延びていた。
「来ているだろうか、来ていないだろうか・
早く知りたかったが、私たちは階段をゆっくりと上がって行った。
中は会館になっているようで、何かの講演をやっていた。
聴いている人たちは少なく、私とジョン・クロードはそこに座っている人たちの後ろ姿を一人ずつ見てった。
そのとき、パトリックとアンドレアスが私たちの方を振り向いた。そして、私たちを見つけると、笑顔がはじけ、直ぐに席を立って私たちの方へ歩いて来た。
嬉しい再会だった
「ヘイ!、ちゃんと来れたんだ」
「勿論だよ。会えて嬉しいよ。実は、君たちが本当に来てるかどうか、ちょっと心配だったんだけどね」
4人全員が興奮していた。インドで別れてから2ヶ月ぶりの再会である
しばらく立ち話をしていたが、オーストリア生まれのアンドレアスがフィレンツェに来た事があるというので、残り3人はヴェッキオ橋、ウフィツイ美術館、デゥオモなどを案内してもらった。
フィレンツェにはどっしりとした石造りの建物が多、その建物の至る所に、有名な
または名も知られていない芸術家達が美しい創作を刻み込んでいる。そこには彼らの美に対する気持ちが満ちあふれている」
とガイドブックに書かれていたが、威厳はもちろんあるものの、私にはそこから中世の人びとの雑踏が聞こえてくるようだった
あぁ、イタリア、トスカーナ。

パトリックとアンドレアスは、トスカーナ郊外で知人が経営するアグリツーリズモに滞在していると言った
アグリツーリズモは日本の民宿のようなもので、農業をしながら宿を提供している所である。オリーブオイルやワインを作り、羊を育てチーズを作っている所もある。全部ではないが、宿でトスカーナの家庭料理を食べさせてくれところもある。
これからの話し合いは、そこでしよう、という事になり、彼らは先に帰り、私とジョン・クロードはキャンプ場へ引き返した。
せっかく組み立てたテントだが、明日は畳んでしまわなければいけない。組み立てるのが大変なテントだけに、こんなに早く畳んでしまうのはちょっと残念だったが、何週間も使う必要がなかったのは、やはり嬉しかった。
翌日、私たちはトスカーナ郊外へ向けて出発した。
フィレンツェから「FS」という、フィレンツェーシエナ間を結ぶスピードウエイ「アウトストラーダ」に乗り、一路、トスカーナ郊外を目指す。
明るい太陽の下、空が右から左へ180度開き、アウトストラーダに乗っていても、なだらかな丘陵の風景が左右に見られる。
丘の上に一件家がぽつんと建ち、そこまでのアプローチとして糸杉が並び、そしてぶどうとオリーブ畑がきれいな模様を見せて広がってい。ホッとさせられる景色である。特に私は空の大きさに感動した。
「アウトストラーダ」を30分ほど走った後、私たちはそこから今度は郊外の道へ入っていった。
郊外の道はくねくねと続き、目的地まで随分時間がかかったが、私たちは無事、パトリックとアンドレアスがいるアグリツーリズモに辿り着いた。

海は見えなかったが、地中海にほど近い場所に、そのアグリツーリズモはあった。
トスカーナの平野に建つその建物は簡素ではあったが、糸杉の並ぶ静かな環境の中にあり、私たちの話し合いには最適な場所だった
さっそく、私たちも部屋を確保し
さぁ、これからどういう展開になるのだろう・・・
その日は、アグリツーリズモで食事をし、夜まで彼らと雑談をして、部屋に戻った。
翌朝、早速、パトリックの部屋に4人で集まり、ウエブデザイン会社設立の話し合いが始まった。
会社が設立されれば、誰がどの仕事に就くのか、それは全員が既に了解していた。
問題は、何処に会社を設立するか、どこに住むか、であった。私たち4人はトスカーナに関して全く知識がなかった。
幸いなことに、パトリックにはトスカーナに住んでいるイタリア人夫婦の友達がいた。
イタリア語を話せない私たち4人には、彼らの助けが必要
私たち4人は一緒に彼らの家を訪問した。
訪ねて行った若い夫婦は、私たちの目の前で夫婦喧嘩を始めるほど血の気の多いカップルだったが、オフィス探しの際には手伝ってくれるようにお願いすると、二人とも快く引き受けてくれた。
会社は、出来れば郊外にある小さな街の方がいい。しかし、インターネット接続が良くなければ、PCは使えない。
若い夫婦が、古い街と新しい街があるコッレ・ディ・ヴァルデルザという、クリスタルグラスで有名な街はどうかと提案してくれた。塔で有名な観光地サン・ジミニヤーノの街に近いらしい。
さっそく私たち4人は日産プリメーラに乗り、その街を目指して郊外の道を走り出した。
トスカーナ郊外の道はカーブが多、それに加えて道が緩やかにアップダウンしている

慣れないと直ぐに車酔いするが、4人の中で一番体の大きいドイツ人のパトリックがさっそく車酔いした。助手席に座っていた私は、後部座席のパトリックと席を変わったが、しばらく走ると慣れない私も気分が悪くなって来た。これじゃあいけないと思った私は、車内にかかっていた音楽にあわせて大きな声で歌を歌ってみた。これがうまい具合に作用して、私の車酔いは抜けた。

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